人間研究家 上田紘資のプロフィールをインタビュー形式で。

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上田紘資インタビュー
サラリーマンから「人間研究家」として活動するに至るまで。 —「それは、まさに私にとって啓示でした。」
今の仕事をするようになったきっかけは何だったのでしょうか?

私が現在提供しているメニューは全て、2003年の春、会社の元同僚と会った際に、強く勧められたのがきっかけでした。彼女は、まるで何かに取り憑かれたかのように、およそ1時間わたって私にこのような話をしたのです。
「アメリカのアリゾナ州にセドナという街があるから、そこに行って、ヒューマンデザインとトランプを勉強してくるといいよ。それはきっと上田くんに合ってるから」。さらに続けて、「日本に古くから伝わる産土という考え方やレイキについても、是非一緒に勉強しようよ。」と。
それから、目に見えない世界の、いわゆるスピリチュアル界のさまざまなものと接する機会もありましたが、その同僚から語られた4つの項目以外には興味を惹かれるものはありませんでした。
その後私は、通常のサラリーマンとしての勤務形態を正社員から週3日の契約社員へと減らしながら、 2010年に入ったころから、現在の仕事のみをするようになりました。
ただ不思議なことに、後日彼女に会って確認したところ、彼女は「自分がそんな話をした覚えはない」と言うのです。
10年近く経った今、私は、それはまさに啓示だったのではないか、という気がしてならないのです。

悲しいのが好き。

上田さんの仕事の原動力は何ですか?

私の場合は、悲しみに浸っている時間に、原動力が蓄えられていきます。
みんなと楽しく盛り上がっている時間、その時は楽しいのですが、一人で悲しみに浸っているときのほうが居心地が良いのです。
私は楽しいときより、悲しみに浸っているときにこそ、夢と希望や創造的なアイデアが涌いてくるのです。
その性格は今に始まったことではなく、小さな頃から、悲しい気持ちになってくると、どこかでワクワクしているような子供でした。

もう一つ、原動力を挙げるとすれば、「人生の負け犬になろう」と決めてから、スムーズにのびのびと仕事ができるようになりました。
サラリーマン時代の私は、仕事の成果を挙げ、会社からも社会からも認められる立派な人間になりたいと思って生きていましたが、ある時、「自分はこう生きるんだ。」と悟ったのです。
理性的に見ると、常に自分を責めてしまいます(これは、ヒューマンデザインに通じるものでもあります)。
「自分の生き様、どう生きたいのかに気づき、魂が喜ぶことをしていこう。」そう思ったら、肩の荷が下りました。
「そうだ、負け犬になってやろう。」と。

努力しても駄目なところ、向いていないことは、無理する必要はない。
「みんな違って、みんないい」

上田さんはヒューマンデザイン・ジャパンの代表をされていますね。その運営も、そのスタンスでやっていらっしゃるんですか?

基本的に同じですね。人間関係などで、一般的に必要とされているスキルが自分には足りないという自覚はあります。方針を決めるにしても、朝令暮改の繰り返しのようなところがあり、一般的には、「トップの決断力がない会社がつぶれる」の典型のようなものかもしれません。
しかし、足りない部分があっても、互いがそれを肯定してやっていける道が開けることもあるはずです。
ヒューマンデザインの考え方でもありますが、努力してもだめなところは無理する必要はないと思っています。

私は、社会から見ると完全なアウトサイダーではありますが、決して社会を批判しているわけではありません。
ただ、「みんな違って、みんないい」ということなのです。
「人はこうあるべきだ」という考え方が強くなりすぎない世の中になることを望んでいます。
また、人生は体力的にも精神力的にも自分がやりたいことを思い切りできる期間というのは、思っているほど長くはないので、やりたいことを先延ばしするのではなく、最優先でやっていきたい。
私も、周りのみんなにも、そういう生き方をしてもらいたいと思っています。

インタビュー・記事:中野 奈々


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